ロシアは「人の工作員がバケツ一杯の砂を運ぶ」と言われるほどプロ工作員が大量の秘密文書を収集するのが特徴。ソ連時代にはKGB(ソ連国家保安委員会=諜報機関)はあらゆる部門にエージェントを置き、その数は100万人を下らないとされました。

 2001年にプーチン氏が大統領に就任すると、KGB仲間を政界や財界、マスコミなど各界に配置し、政敵を次々と打倒、「シロヴィキ政権」を固めました。散り散りになっていた元KGB要員を集め、世界中でネットワークを再編。2004年には情報機関を統一し、情報機関員は「対外諜報に関する連邦法」に基づき、身分偽装も組織偽装もフリーハンドとしました。

戦前の「ゾルゲ事件」

 ゾルゲ事件(1941年10月)とは、リヒャルト・ゾルゲ(ソ連情報機関GRUの在日指揮官)が、ドイツ紙の日本支局特派員の肩書きを隠れ蓑に日本の中枢部に入り込み、元朝日新聞記者・岡崎秀実(近衛内閣顧問)ら日本人スパイを使って日本の国策を南進論(日米開戦)へと誘導し、ソ連がドイツとの二正面作戦に陥るのを防ぎ、スターリンを助けたコミンテルンによる一大スパイ事件。

 このようなゾルゲ級のスパイ工作が日米離反といった日本の基本政策の破壊を狙って仕掛けられかねないのです。
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旧ソ連・ロシアによる戦後スパイ事件

 1954年1月 ラストボロフ事件
 1969年5月 オダンタラ事件
 1971年7月 小林・コノノフ事件
 1976年5月 マチューヒン事件
 1980年1月 根室レポ事件
 1980年1月 自衛隊スパイ事件
 1982年12月 レフチェンコ事件
 1985年7月 タス通信記者スパイ事件
 1987年5月 米軍横田基地事件
 1992年5月 ダビードフ事件
 1997年7月 日本人なりすまし事件
 2000年9月 ボガチョンコフ事件
 2002年3月 シェルコノゴフ事件
 2006年8月 ニコン事件
 2008年1月 内閣情報調査室事件

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