2012年5月、読売新聞のスクープ(5月29日付)によって在日中国大使館の1等書記官(当時45)のスパイ疑惑が国民の前に明らかになりました。 

 報道によると、書記官は外国人登録証明書を不正に使って銀行口座を開設し、ウィーン条約で禁じられた商業活動を行っていました。警視庁公安部が外務省を通じて中国大使館に書記官の出頭を要請しましたが、書記官は逃げるように帰国してしまいました。典型的な大使館員スパイの行動です。 

 この1等書記官は李春光といいます。1989年6月に人民解放軍傘下の外国語学校を卒業後、中国人民解放軍総参謀部第2部(情報担当)に所属。93年5月、福島県須賀川市の友好都市の中国・洛陽市職員を名乗り、「須賀川市日中友好協会」の国際交流員として初来日。約4年間、福島県内に滞在し、福島大学大学院に通っていました。 

 その後、帰国し中国の調査研究機関「中国社会科学院」で日本研究所副主任を務めました。毎日新聞の金子秀敏氏は、李書記官は総参謀部の「出身」ですが、「所属」は国家安全部と見ています(2012年6月7日付)。 

 国家安全部、略して「国安」は中国の代表的な情報機関です。前身は中国共産党調査部で、中国版CIAです。国家安全相以外の職員の氏名は一切公開されていません。ホームページもない覆面組織で、もちろん「国安職員」という名刺もありません。それでは海外で人と会うのに不便ですから、大使館や研究所、新聞社などに出向し、在外研究員や海外特派員として政財官の要人に接触しています。 

 金子氏は「くだんの書記官も社会科学院の日本研究所に属し松下政経塾に留学していた。よくある国安職員の行動様式だ」と言います。この指摘通り李書記官は99年4月に再来日し、松下政経塾に海外インターンとして入塾。同期生には後の民主党国会議員もおり、政界や財界に幅広い人脈を広げていったのです。 

 2007年に「経済担当」の1等書記官として駐日中国大使館に赴任。民主党の筒井信隆・農水副大臣(当時)の副大臣室に出入りし、日本の農産物などを北京の施設で販売を計画する「農林水産物等中国輸出促進協議会」と深く関わり、鹿野道彦・農水大臣(当時)にも接触していました。 

 同事業の事務は鹿野農相グループの衆院議員の公設秘書(当時)が担当し、2010年12月に鹿野農相から農水省顧問に任命され中国側と交渉。この人物を通じて農水省が「機密性3」「機密性2」に指定した文書20枚近くが漏えいした可能性が高いのです。 

 李書記官が開設していた口座には日本企業から顧問料などが振り込まれ、工作資金に充てられていた模様です。警視庁公安部は2012年5月31日、外交官の身分を隠して外国人登録証明書を取得したとして外国人登録法違反(虚偽申告)容疑などで東京地検に書類送検しました。 

 公安部は、李書記官はスパイの可能性が高く、日本企業に中国進出を持ちかけていたのは「人民解放軍の影響下に置き、軍の資金源にする狙いがあった」と見ています。 

 李書記官は日本語を母国語のように流暢にしゃべり、政財官界に人脈を築いていました。李書記官が国安の所属なら、政財官界でスパイを獲得して情報網を張り巡らせ、親中勢力を培養して中国の国益を高め、あるいは日米関係にくさびを打つ役割を担っていたと見られます。 

 また総参謀部2部の所属なら、農水省を足場に防衛省へと人脈を広げ、自衛隊や在日米軍、防衛産業などの情報獲得を狙っていました。実際、防衛産業と接触していたとされます。総参謀部3部(技術偵察)の所属なら、通信、電磁波などを媒介にしたサイバー攻撃などにおる対日諜報工作を目指していたと考えられます(ジャーナリスト山本徳造氏「国民新聞」2012年6月25日付)。

> 中国による米国でのスパイ事件