なぜ新・スパイ防止法が必要なのか(13) スパイ・ゾルゲの亡霊

 1944年11月7日のロシア革命記念日、巣鴨拘置所にてゾルゲの死刑が執行されます(国防保安法、治安維持法違反)。ゾルゲ最後の言葉は「ソビエト赤軍、国際共産主義万歳」でした。尾崎秀実も同日、絞首刑に処されました。

 ゾルゲを英雄と評価する声は、ロシアで今でもあります。しかし、何と日本人にもゾルゲや尾崎を称賛し擁護する声があるのです。日本国を裏切り、ソ連に売り渡す行為をした尾崎らを、彼らはどのような理屈で擁護するのでしょう。尾崎秀実の異母弟にあたる文芸評論家・尾崎秀樹(代表作は『大衆文学論』)は、次のように言います。

 「彼らがスパイというかたちで逮捕、投獄され、そして最高刑の死刑になったのは、戦争に反対し、それを回避するためにどうすればよいか、彼らのその積極的な反戦・平和のたたかいを封殺しようとする政治的意図が働いていました」

 秀樹は尾崎秀実の親族ですから、身内びいきが入っているかもしれませんが、親族ではない日本人のゾルゲ研究家などは「諸国のパワーゲームの中で、ゾルゲ・尾崎がコミュニストとしての使命感に燃えて、わが身を顧みることなく、反戦・平和のために必死の諜報活動を行った」と述べているのです。あの国民的大作家の司馬遼太郎(代表作『竜馬がゆく』)までが、ゾルゲの日本観察エッセーや情報分析力を評価し「私はゾルゲのファンなんです」と絶賛しているのですから、驚きです。

 まるでゾルゲらが正義のヒーローのようです。ゾルゲらがソ連と日本との戦争が回避されるように動いたことを「反戦・平和」と彼らは評価しているのです。しかし、ゾルゲらの目的は、尾崎が取り調べで語っているように「世界共産主義革命遂行上の最も重要な支柱であるソ連を日本帝国主義から守ること」でした。

 しかも、尾崎秀実は記者・評論家として『中央公論』『朝日新聞』に寄稿し、国民党の蒋介石政権を「軍閥の代表者」と罵倒し、日中戦争拡大の論陣を張りました。その真の目的は、中国の共産化であり、日本を南進させ、敗戦必至の対米戦に追いやり共産化への道筋をつけることであり、ソ連を守ることでした。戦争を煽る者が真の反戦・平和主義者でしょうか。もちろん、スパイにはスパイの苦悩もあったでしょうが、筆者は尾崎を擁護することはできません。

 ゾルゲ事件の恐ろしい点は、スパイが、政権中枢(この場合は近衛文麿内閣)に入り込んでいたことです(尾崎は内閣嘱託)。近衛内閣には、司法大臣として共産主義者の風見章が入閣していますし、何より近衛首相自身が、社会主義思想に深く共鳴していたと言われます。日本は共産化こそしませんでしたが、日中戦争の泥沼から抜け出せないまま、対米戦に突入し、多くの死者を出して大敗北しました。戦後、中国は共産化しました。ソ連は大きな犠牲はありましたが、生き残ることができました。ある意味、ゾルゲや尾崎の目論見通りになっています。日本の共産化を除いては。

 政官界やメディア界にスパイや工作員が入り込むことは、時と場合によっては、このような大惨事を引き起こすのです。我々は、ゾルゲの亡霊を甦らせてはなりません。だからこそ、新・スパイ防止法によって、政界やメディア界の人々にも警戒の目を注がなければならないと筆者は考えるのです。リベラル派もよく言うように、歴史の教訓から学ぶべきでしょう。

(つづく)

 

濱田 浩一郎(はまだ こういちろう)
1983年生まれ、兵庫県相生市出身。
歴史学者、作家、評論家。皇學館大学大学院文学研究科博士後期課程単位取得満期退学。
兵庫県立大学内播磨学研究所研究員・姫路日ノ本短期大学講師・姫路獨協大学講師を歴任。
現在、大阪観光大学観光学研究所客員研究員。現代社会の諸問題に歴史学を援用し迫り、解決策を提示する新進気鋭の研究者。

著書に『播磨赤松一族』(新人物往来社)、『あの名将たちの狂気の謎』(中経の文庫)、『日本史に学ぶリストラ回避術』(北辰堂出版)、『日本人のための安全保障入門』(三恵社)、『歴史は人生を教えてくれる―15歳の君へ』(桜の花出版)、『超口語訳 方丈記』(東京書籍のち彩図社文庫)、『日本人はこうして戦争をしてきた』(青林堂)、『超訳 橋下徹の言葉』(日新報道)、『教科書には載っていない 大日本帝国の情報戦』(彩図社)、『昔とはここまで違う!歴史教科書の新常識』(彩図社)、『靖献遺言』(晋遊舎)、『超訳言志四録』(すばる舎)、本居宣長『うひ山ぶみ』(いつか読んでみたかった日本の名著シリーズ16、致知出版社)、『龍馬を斬った男 今井信郎伝』(アルファベータブックス)、『勝海舟×西郷隆盛 明治維新を成し遂げた男の矜持』(青月社)、共著『兵庫県の不思議事典』(新人物往来社)、『赤松一族 八人の素顔』(神戸新聞総合出版センター)、『人物で読む太平洋戦争』『大正クロニクル』(世界文化社)、『図説源平合戦のすべてがわかる本』(洋泉社)、『源平合戦「3D立体」地図』『TPPでどうなる? あなたの生活と仕事』『現代日本を操った黒幕たち』(以上、宝島社)、『NHK大河ドラマ歴史ハンドブック軍師官兵衛』(NHK出版)ほか多数。
監修・時代考証・シナリオ監修協力に『戦国武将のリストラ逆転物語』(エクスナレッジ)、小説『僕とあいつの関ヶ原』『俺とおまえの夏の陣』(以上、東京書籍)、『角川まんが学習シリーズ 日本の歴史』全15巻(角川書店)。


関連記事

  1. なぜ新・スパイ防止法が必要なのか(4) 特定秘密保護法とスパイ防止法

  2. なぜ新・スパイ防止法が必要なのか(9)北朝鮮の拉致を防げ!

  3. なぜ新・スパイ防止法が必要なのか(11) ソ連のスパイ・レフチェンコの…

  4. なぜ新・スパイ防止法が必要なのか(8)拉致事件を許した日本人の精神構造…

  5. なぜ新・スパイ防止法が必要なのか(3)

  6. なぜ新・スパイ防止法が必要なのか(5) 拉致事件とスパイ

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。