一億国民を戦火にまきこんだスパイ

 日本で最大のスパイ事件が、戦前の「ゾルゲ事件」です。
 リヒアルト・ゾルゲ。ソ連の情報機関GRUの在日総元締でした。ゾルゲは、ドイツ紙の日本支局特派員の肩書を“隠れミノ”にしながら、日本の中枢機関の奥深く、スパイ網を張りめぐらしました。

 こうして、ゾルゲ・スパイ団が日米開戦前夜、昭和16年(1941年)10月に、一斉摘発されるまで、ゾルゲは日本の最高機密を、完璧なまでに入手し、ソ連に連絡していました。

 ゾルゲの片腕となったのが、元朝日新聞記者で、中国評論家の尾崎秀実でした。尾崎は、御前会議の内容から、政府や首相の手の内まで、ことごとく探り、ゾルゲに知らせていました。
 なかでも、「日本は、北進(ソ連攻撃)せず」の情報は、ソ連をドイツ軍の攻撃から救い、結果的に、日本・ドイツ両国に致命的な大打撃を与えるという、現代史を塗り替えるものとなりました。

 一方、日本は南進政策を決定して、日米開戦の口火を切り、太平洋戦争の泥沼にはまり込んでいきました。これもゾルゲ・尾崎らの、ソ連スパイの謀略といわれます。

 尾崎は、それ以前からも内閣顧問の立場を利用して、絶えず政府首脳に「暴支(シナ)を撃つべし」などと、戦争拡大論を吹聴していました。

 一億国民を、無益な戦火に巻き込んだのは、ソ連スパイの情報工作の成果ともいえます(そのため、二人は死刑に処せられました)。

重要機密が筒抜けの日本

 当時、軍事機密法など、厳しいスパイ防止体制が敷かれていて、なおかつ、これだけの情報謀略が行われていた訳です。

 スパイ防止法のない現在の日本の機密は、骨までしゃぶられているといっても、決して過言ではありません。

> 米国とロシアの「スパイ交換」

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